昭和40年01月23日 月次祭



 信心をさせて頂いて、信心をさせて頂くことでいえば本気で信心のけいこをする人でなからなければ頂けない信心の喜びと言うものが、一切のおかげの受け物になり、それが積もっては積もってはお徳と成る。もう一つ真に有り難いという心を頂かせてもろうて、それがおかげを受けて行く所の楽しみにまで成って来るおかげに成って来なければならん。今日は久保山先生が、只今上京中だもんですから、先生方がお祭りに準備も大わらは。特に今日は、古賀先生が殆どの神饌をいたしました。
 ほんにその申し訳ない。体もあんまり強くないのに、まあ久富先生が、もうちゃっと出来れる様に下ごしらえだけはして下さった。お掃除もして下さった。そこですっきりしたところで神饌をさしてもらう。私は後ろから、あんまり助言してはいけないんですけれども、ま、ちょっと助言するくらいで、見せて頂いとった。一つ一つ、出来上がっていく。それがいかにも楽しそうですねえ。有り難そうです。はぁキツイと言ったようなものが見えないのです。一つ一つ、出来上がっていくということ。
 真心を込めて、清めに清めさして頂いた皆さんの真心のお供え物が、先ず神饌室を払い清めさして頂いて、そしてそこで払い清めさして頂いた清々しいお鉢に、お三宝に盛り上げられている。しかもそこに一生懸命の思いを込めて盛り上げられていく。それがいかにも楽しそうである。有り難そうである。お母さんがお風呂入って下さいちゅうて来よんなさった。ちょっと待って下さい、これば一つ、なかなかこれを一つ一つ、そのきりを付けなければ、立ち上がりたくないような気持ちが先生の心の中にある。
 ああゆう時におかげ頂く。ああゆう時にいわば自分が病気であると言う事も忘れてしもうて居る。人から見たら難儀に見えるのだけれども、そうした神様に喜んで頂く様な御用が一つ一つ出来上がって、またそれが一つ一つなされて行く時、心を込められて行くときです、自分の上にある難儀と言うものを難儀とも感ぜずに楽しめれる。喜べれる。そういう心におかげが頂けれると私は思うのです。
ですからそういう例えば喜びを頂かして頂くためには、そういう一つの努力というものがなさらなければならん。今日はもう神饌室が、もう清々しい程に清められてございます。この間の月次祭に、あれはもうほんとに何時だったでしょうか。どうも御神前に鼠が横行する。横行するだけではなくてから、そのお三宝の上まではい上がってから、あれもこれも荒らしてしまう。ほんとに神様にお願いをさして頂いて、なお先生方がお取次を、頂かれただけじゃいかん。
 こりゃ私に神様が、何か分かれよ、とこう言うてくださっておる姿であると思うて、鼠取りもいらなければ鼠殺しもいらんと言うて、神様におすがりさして頂いたら、その次のお月次祭から、本当に鼠は騒いで居りますけれども、神饌室にも入らなければ、神殿を荒らす様なこともなかった。ところが、この前のお月次祭から、またもうリンゴなんかは好物なんですね。こうかじられる。うどんもかじられる。ほんに恥ずかしいことである。後で皆さんに御神前に鼠が荒らすときは、私の信心が間違うとるとき。
 というて願いもすれば、またそれを自分の信心の一つのはかりともさせて頂いておる。ところが、この前の月次祭に申しますように、いっぱい食い荒らされる様になったということ。そこで私は神様にその事をお詫び申さしてもろうたり、またお縋りさして頂いて居りましたら、神様から頂きます事がね、『一遍にズッーとおかげを頂くということだけがおかげではない。お願いをした。聞いて下さった。またいけない。またお願いをした。とお願いをするたんべんに、こちらが高められて行く、清められて行く。
 いや私一人ではない、先生方も分かって行きゃ、家族の者も分かって行くと言う様な、お蔭を頂いて、お供えをさして頂くのが一生懸命なら、それを取次がせて頂く先生も一生懸命。そのお下がりを取り扱かわせてもらう先生、家族の者が、また一生懸命という様なお蔭を頂かなければ本当のお蔭にはならないと。』そこで私の分だけは聞いて下さった。私はあくる日なんですね、久保山先生と古賀先生達。あんただん、心の中で思いよったろう。ははぁまた先生が間違うてござるばいな、ち思いよったろう。
 顔を見合わせてから、やはりそう思うちょったに違いはない。自分達が神饌室を荒らして居ることは、ひとつも考えていないです。お布巾を使うたら使うたぎり。包丁には生くさ気のものが付いたぎり。雑巾やら布巾やら分からん様なことで、しかもそれが神饌室を穢さない様にて、中に書いて有るだけではなんにもならん。これではお蔭にならん。勝手に下がれば、勝手でお下がりがどうしてもそのお粗末になっておる。ご無礼になっておる。これではお蔭を下さろう筈がないて。
 私は、この前のお月次祭にこの事を頂きましてね、本当に色々と分からせて頂くことがあった。先生方が、もう久保山先生はじめ、一生懸命神饌室のお掃除があった。清められた。お供えが来るとそれを一々ちゃっと、お供えと、霊神様の物、神様の物とをきちっとこう上にあげられてから、きちっと、整然と清らかに、神饌室がなって来た。ところがどうですか。この前の月次祭には、月次祭から月次祭まで鼠の子一匹入ってこんじゃないですか。この事だけ考えられても、この神様が生きてござることが。
 皆さん分かるでしょうが。どうですか。分かるでしょうが。これが完全と言うことじゃありません。完璧という事ではありませんけれども、精進努力させて頂くということによって、もう神様が、生きたその働きを、生きた働きでもって受け止めて下さって、生きた働きがここに現れて来る訳なのですよ。まあだ、私は勝手の方がどうもまだ気にいらん。いよいよそれが立派な、裏からまた来るかも知れません。
 けれども、一遍にずーっとお蔭を頂いたよりも、そこに引っ掛かり、ここに引っ掛かりして行くと言う事が、実を言うたら有り難い事であるということをです、お互い分からなければならない。引っ掛かってばっかり居るということではいかん。引っ掛かるたんべんに分からせて頂く。いわゆる引っ掛かるたんべんに、私は高めらる。清められる。深められる。引っ掛かるたんべんに、信心のなかった家内が信心になり、信心のなかった子供が信心になり、家族の者が挙げて信心にならせて頂いて、お蔭を頂いた。
 どうですか不浄が付かないでしょう。ちょいとお蔭頂いて有り難いの、とお父さんが言うておる。ところが家内が、あなたは何でもお蔭お蔭ばっかりち言うちから、何がおかげですか。ふが良かったちゃそれぎりでしょうが。神様のお蔭に不浄が付くでしょうが。だからそれでは本当のお蔭ではないと言うこと。夫婦の者が有り難いと言うておっても、子供が、もう家の親ばっかりゃ金光様にぼうけてしもうちから。
 何でんかんでんお蔭お蔭とばっかし言うてからと、もし言うのであったらこれはまだ完全のお蔭が頂けないという事が分かるでしょう。もし頂けましてもそれでは不浄が付く。それに不浄がある。鼠が齧るたんびにいわば節折り目と申しましょうか、引っ掛かる事が在ることたんべんに、信心が一段一段進ませて頂くという事が有り難い。先程ちょうど午前中でした。下がらせて頂いとりましたら桜井先生がお参りになった。
 「先生、昨日は私、最近有り難いと思いますことが、一生懸命、有り難うならせて頂いておればです、本当に家内が有り難うなって行くことでございます。お参りして見えられました方々に、一生懸命に自分が椛目で頂いた御理解のこと、そしてその御理解を行じさせて事の有り難さをです、もうとにかく一人でお話をした。私はそれを横から見させて頂いてから、もう本当に泣くまいと思うても泣かにゃおられん。
 有り難さで一杯でございまして、金光様、つい最近まで私のことに右と言やあ左、左と言やあ右、と言う様な家内がです、どうしてこういう有り難い事に成って来ただろうかと思わせて頂きまして、お礼を申させて頂いておりましたら、家鳴り(やなり)がする様なお勇みを三回続けて頂きました」と言うてあります。いかに先生に付いて信心が成って行くところの家内のです、信心を神様がお喜び下さるか。
 またそれを、お蔭と感じとって有り難しと、涙が出る様な有り難さを、神様にお礼申し上げておると言うことが、いかに神様の生きた心、生きた働きに触れるかと言うことが分かるでしょう。十五年祭を目指してから、皆さんが、一生懸命勢信心をなさって居られる。私を中心にして、例えば、勢信心が進められていく。そうして十五年の記念祭が、そしてお屋敷の購入が、または御造営が、出来るという事にならせて頂いたら、どう言うことに成るか分かりません。
 ハア、あそこのお広前は先生のお徳で出来た。あそこの何々て言う信者さんが一人で建てらっしゃったげな。そういう様な物ではですね、後が寂しゅう成るから不思議なのです。何故って、後が不浄が入るからなんです。一遍にスススーッとお蔭を頂いた様な物だからなのですよ。私はこの前の月次祭の時、ここの所を分からせて頂いた。ハハァ、誰に頼る事がいろうか、縋る事がいろうか。
 私がお蔭を頂かせてもろうて、私がお徳を受けて、そして、お土地の購入であろう、又はお広前のご造営であろうと私は、私はこう確信しておった。実は。ところがそれだけではいけないと言うこと。そしてお土地ならお土地の問題がそこに引っ掛かり、ここに引っ掛かりさして頂くうちにです、私が分かるだけではなくて、皆さん自身もわからして頂いて、最近、ただ今申しましたお供えのそれのように、そして、引っ掛かるたんびに信者と私共がいっしょに分かっていく。みんなが分かっていく。
 そうしてお広前が建立されたという事になったらです、これはいよいよ何時何時までも、おかげの土台が出来ましょう。皆さんそんな例をご承知はないでしょうか。有りますよね。一人建立(いちにんこんりゅう)なんていうお広前があります。見事に出来たところがです、もう出来たのを境に、人が助からなくなったり、お広前が寂しゅうなった。広々とした立派なお広前が出来たのだけれども、元の旧お広前の方が繁昌して来るという様なお広前を私は幾らも知って居るです。
これは信者の一部の人が頑張ったり、先生の、例えば、お徳ならお徳だけで出来たというのではいけません。成るほど、して見ると甘木あたりは素晴らしい。あの伝記を読ませて頂きますとね、とにかく、さぁ千人からの人達が集まって来るのですね。もうその地上げがあるといやあ、造石があるといやあ、建て前があるといやあ、もう各部落部落が手分けをしてから、毎日何百人の奉仕がです。
 または何十人の奉仕が四年間続けられたと言う事でございます。そしてあの名実ともに、その当時日本一と言われておった甘木の教会が出来たんです。後が狂わないでしょうが。これは私と皆さんとの足並みが揃うてからのそれでなからなければいけないと言う事を私は感じますですね。今日、楽長さんが朝のご祈念に参ってお届けをして居りました。先にお礼をさして頂きよりましたら、『市川』と頂いた。字がはっきりもう綺麗な字で『市川』と頂いた。どういうことだろうかと。
 丁度四十五分間もかかりました。その事を分からせてもろう為に。一生懸命ご祈念さして頂きよりましたら、私の心の中に『市川』とは一つの流れ。次には『左団次』と頂かれる。ハハァ、市川左団次という歌舞伎役者が居りますね。市川左団次。いゆる舞台で踊る人。しかも『左』は椛目の御結界であろう。『団』は団結であろう。『次』は取次の次ぐであるから御取次を頂いてということであろうという事が分かった。
 早速今日楽人の方たちを〔の集まり〕をされた。今日は楽人さん達の記念祭を迎える為の信心の共励なり、話合いがあった。同時に晩餐会があった。神様が、流れは一つでありましてもです、全員が御取次を頂いて団結しておかげを頂いて行くと言う事。私も今日の朝そういうお夢を頂いた。もうそれがもう何ともいえんのです。それはもう言葉に表現でけません。まあ五十四、五位の人達ばっかりが、ズーッと、モーニングですかね、あれを着られてから、あれは何と言うですか、楽団なんですね。
 オーケストラて言うですか。そして待機して居られるのです。ここに合唱団なり、または独唱される。ソプラノならソプラノ、テノールならテノールの人達が、優雅に出て来てから、今から歌でも歌うのではなかろうかと言う様な雰囲気なのである。私は日比谷の公会堂というのは知りませんけれども、夢の中で、日比谷の公会堂という感じなんです。そういたしましたらです、一人の婦人がのこのことやって参りましてですね、ジェスチャーたっぷりに歌を歌いだしました。
 椛目で長年信心いたして居ります。本当に言うことも行う事も、なかなか器用に言われます。そりぁ、実行力を持って居られる婦人なのです。けれども、お参りということはよう致しません。金光様の信心というのは教えを頂いて、それを家族の上にお店の上に、又は相対の人達の為に、それを教えを行じていきさえすれば、お蔭が受けられると思い込んで居られる。ところがそれが、いつのまにか我流になって居る。
 いつの間にかその人流に成ってしまって居る。もうジェスチャーたっぷりでバイオリンとも何とも付かん楽器を引いては、もうそれこそジェスチャーたっぷりでです、あるいは今の流行歌でしょうか、けどもその訳も分からん様な流行歌を一生懸命にジェスチャーたっぷりで歌いよるけれども、この楽団はその伴奏を入れ様ともしない。観衆の方から、ざわざわどやどやと言う声が起こって、「どうした馬鹿じゃろうか。あげんとこへ一人で上がってから馬鹿たれが」ちゅような声が聞こえてくる。
 如何に団結をかいだ我流の信心ではいけないかと言うことが分かるじゃないですか。最近教団の助かるとか、団体の助かりと言う事がいわれます。個人個人の助かりではいけない。団体の助かりでなからなければいけないという事なのです。ま、いうならば椛目のお広前全体が打って一丸となって助かって行かなければならないという事なんです。それは椛目の方ばっかり、段々繁栄してしもうて、そういうこっちゃ、うちの方がお留守に成ってしまうと言う様なことが心配に成るのじゃないかね。
 椛目の事にばっかり打ち込んで居ったら、うちの事が留守になってしもうのではなかろうかという不安の面がお互いの心の中に在るならば、それを一掃する為の修行と信心がなさらなければいけません。それは今日の一番初めに申します様に、喜びの心がそれをなさしめ、喜びの心が次々と一つの事が成就して行くことが喜びである。神様の御用さして頂いて、清めた上にも清めさせてもらい、工夫をさして頂いた上にも工夫さして頂いて、一台一台神饌物が盛り上がって行く事が楽しみである様に。
 その喜びが、きつくもなからなければ、あぁ誰か加勢に来てくれればよいとは思わん。もう私は誰にでも当たらせんちゃ。「そりゃ先生、あんたこうした方がようはなかろうか」「いいえ」しかも自分が思うとることが、スススススーとどんどん出来ていかれる。それが楽しい。それが有り難い。そういう時にです、そういう御用が出来ていきながら、古賀先生のいわば体の上に、神様がどんどんお働きを下さって居るとしたら、どういう事に成りますでしょうか。
 私は最近先生にあんまりぶっしけですけど申します。あんた私の側に居ってほんなら頭の髪にチックですか、あれをぬれぬれ付けてこにゃでけん。ご無礼に成る。私の側に来てから、髭を剃ってからごふんごふん言うのはできん。気色の悪か。ごろごろいうて痰ばごろごろいわせるならもう気色の悪か。腹立けど修行と思うてから、一生懸命ああたから剃ってもらいよるとばい。
 あんた私をいっちよん有り難う思うとらんけんそげんなこというごと思うて、今日からは願いなさいと。それは私のそう言う様な言い方がです、先生に入って行く様な雰囲気であったから、私そのこと申しました。その日からお願いなさって、その日からお蔭を頂いて、ね、最近自分でも不思議な位に体の上におかげを頂いた。おかげ頂いたねえ。そうして御用をさして頂くことが、一つ一つ成就して行くという事がです、神様の御用が出来て行きながらです。
 有り難うしてこたえん、楽しゅうしてこたえんなりにです、一番お蔭を受けなければならない古賀先生の健康なら健康が、どんどん神様の働きを頂いて居るのであり、人間関係で難儀をして居られるならば金銭関係でおかげを受けなければならんならです、その事が万事万端の上にご都合お繰り合わせが頂かれるところの働きが、その間に出来て行くというようなおかげに成ったらどう言うことになるでしょうかね。
 老いもなければ若きもない。壮年も婦人も、家族どもが集うて寄りようたならば、さあ、十月の記念祭ぞ、どういう信心さして頂いてどういう様に神様に喜んで頂けるような御用でもさして頂こうかねえ、と言うて家族の者が話会い練り会い、それぞれがそれぞれの立場に於いてその事を私は努力する。協力する。そういう事になってお蔭を頂いた時にです、例えば、なら記念祭なら記念祭が出来た。ご造営が出来た。家族中の者が上げて、おかげ頂いて良かったのう。ほんとにお蔭頂いて良かったなあと。
 折角おかげ頂くなら、お蔭頂いた後に、有り難いなぁという様な喜びの湧く様な御用でなからなければいけない。ありゃ私が御用さしてもろた。ハア、あんときゃいくらかかったといった様なものでなくて、折角御用させて頂くならばです、御用の後に、有り難い涙が流れる様な、それはそのままがです、神の喜びぞとおっしゃる様な喜びが頂ける様な御用を一家を上げて出来さして貰うその一家が、椛目に百軒なら百軒の会員が居られるならば、百軒の会員が集まって、ね。
 渦を巻く様な喜びでお礼が申し上げられるようなおかげを頂いた時に、いよいよお蔭の元が出来るのであり、おかげの場が出来るのであり、椛目全体の助かりが在るのであり、お互いの上にもお蔭が頂けれると言うことに成るのではなかろうか。私は団体の助かるというのはそういう意味ではなかろうかと。その団体の助かるということはどんな風かね。最近の教団の団体の助かりとはどういう意味か。私には分からん。古賀先生に聞いて見た。例えばお広前に、例えば青年部なら青年部のリーダー格が居る。
 質が優れた信者が居る。その人の信心に憧れてほかの青年も集まって来る。その人が信心の教導をする。そういう様な働きがある。それで私は、それはちっと違うと。例え飛び抜けたとは居らなくてもです、どんなに程度の低いので有ってもです、その人達が相集まらせて頂かなければおられん雰囲気が、お広前に生まれてこなければいけない。そしてその人達なりにです、牛は牛ずれと申しますが。
 牛は牛連れなりに信心の喜びを語り合い、練り合いさして頂くという様なお蔭に成ってこなければ、私は全教の助かりにもです、教団、団体の助かるという事には成って来ない。神様とのつながりを持った、その例えば、一人のリーダーに繋がっただけの信心では駄目だ。夕方楽人さん達が晩餐会を致します。先生お出で下さいとこういう。隣であっておったから参りました。ところが今日不思議な風邪を私は引いた。朝から風邪を引いた。どうも頭が痛い、鼻が出る。喉が扁桃腺が腫れて痛い。
 どれかひとつずつですもんね。大体この次々悪く成ってくる大体この風邪をひいたっていうのは。もうそれがどれもこれも風邪の症候が一つに、一遍に現れておるという状態。私は今日こんなに気分が悪いから、ご無礼してから一足先に帰ってお祭りまで少し休ませて頂こうと思うた。ご無礼さしてもろうというて一足先に帰らせ頂いたら、丁度お玄関のところで熊本の村上さんとばったり出会った。はぁおかげ頂いてよかったって、それが貴方、私いまから寝ろうと思いよった。
 だから何かお伺い事か何かあるならばちょいとはようこっちへ来て、まあとにかくご結界に座らせて頂いてからお取次をさして頂いた。村上さんも私が体が悪いことは先に言うとるから知っとりますから、早くきりを付け様と思うのだけれども私が余り熱心に頂くものですからもう一生懸命になって涙を流してからお取次を願われる。私も頂くことが一生懸命。自分のお蔭を受けられた事おかげを受けた時のお礼と同時にです。
 先生あん時にゃこういうようなお蔭を頂いたんです。飯塚の親教会が、ああ親教会、親先生に御霊様のお祭りを仕えて頂いたら、こういう不思議な事があった。こういう生き生きと働きを頂いた。こういうお声を頂いた。ここがこう粗相ではないかと、神様が教えて下さったら、その通りの事が私の家にあったという。その生き生きとした神様の声をそのままにです、私に伝えられるんですね。
 私はそれを聞かせて頂いとったら、だんだんだんだんです、気分が良くなって、頭がすうっとしてきたです。「村上さん、私は今日はあんとにおかげで、これはもうこのままお月次祭が仕えられる」と申しました。おかげ頂いて休む事がいらんで済みましたけれども、生きたものと生きたものとの交流なのです。おかげというのは、そういう交流の場から生まれて来るのです。お徳に触れるということです。生きたお徳に触れる。こちらの生きた心が生きた心に触れる時にです、お蔭が頂けるのです。
 だからどういう様な信心をさして頂いたならば、自分の心が生き生きとして来るだろうか。丁度午前中の次々とお参りの間にです。野口つぁん、それから熊谷さん。ほかに二、三人の方が居られました。丁度桜井先生がお参りになられた。私はご結界に座らせて頂いて居った。この間の月次祭に、ほんとにあの最近の桜井先生の信心の目ざましい。何か後ろから拝みたい。後光のさすごと思いがする。ね。
 先生のお話頂きたいと思うたら、丁度今日は朝のご祈念にお参りしなかった。遅れておられたお蔭でここでお会いが出来た。何と一言なっと、(というようなその気持ちで下がられた所へ先生が見えられた。そして神様にお願いさして頂いてから、毎日、ノート一冊ぐらい神様からいろいろ頂かれるのですねえ。本当に様々なこと頂かれる。今日はね、久留米の石橋、初代の石橋先生、甘木の初代の甘木の親先生が是非一遍会いたい。是非出て来てくれというそのお頼みを受けられた。
 そやからお食事を済ませて直ぐ久留米に行かれ、それから甘木に行かれ、とにかく神様の方が引き止めてから、引き止めてから帰しなさらん。もう日が暗うなったばってん立たされません。ようやくこのお月次祭に間に合うようにして帰って見えられた。そういう状態の時にそのことをです、私はこれがこれはもう極秘ぞ極秘ぞと。椛目の大坪だけにしか教えてはならんと言われるのですけれども、私がお許しを頂いて居る範囲の方に私がおみせをさして頂く。
 今日も私、熊谷さんと野口さんに1ページだけよ。神様にお願いして1ページだけは開かせて頂き、1ページはあんたが頂きなさい。私が言う。二人の人がほんとに感激いっぱい、野口さんなんかは「もう最近何にも私に生き生きしたものがなかった。ところがですもう先生このなにかしら元気がもりもり湧いて参りました。あの書かれておる文字に触れただけでです、感激さして頂いた」と言うて、同じ意味の事を、熊谷さんも野口さんもお礼を申して居られます。
ね。生きたものに触れるということ。生きた神様に触れるということ。その神様が如何に生きてござっても、こちらの心が生きていなかったらお蔭にはならんのですから。如何にしたら生き生きとした心、有り難い心。真に有り難い心というのは生き生きとした有り難い心であると私は思うのです。そこでお互いが、それぞれのです。信心の程度、信心のゆうなら持ち場立場に於いてですおかげを頂かなければならない。しかも私が幹部だからこう、総代だから私はこうといったようなものではなくてです。
 先生と言われれば言われる程、総代さんと言われれば言われる程、皆からちやほやされればされる程、いよいよ実意丁寧の信心を表して参りまして、おかげを受けて行かなければならん。その御理解に私は申しました。昨日長女が善導寺のお参りの帰りに菜種の花を一握り持って帰って来ておった。この頃菜種の花が咲いた。天気が異変なのですね。こんなに暖かいもんですから、いわば狂い咲きをしたわけなんです。
 私は思うんですね。それにつけてもです、椛目は確かにたいした御比礼を頂いとる。人も助かっとる。もう今日なんかでも私は本当にほんなこちゃあるかといった様なおかげを頂かれておられる方たちのですね、お取次を幾らもさして頂いたのですけれども。どんなに考えても神様の働きと言わにゃおられない様なお蔭を頂いておられるのですものねえ、皆さん。今日来ておられる岡崎さんなんかは、もう今朝から参って見えて言われるんです。自分の品物が全部引っ掛かっちゃった。
 夜逃げさっしゃった。ある所に預けてあった。そして自分のぶんだけを売ってある。それは勿論、お届けしてある品物が帰つて来る様なお蔭を頂いたらよかろう金は取れんでもという御理解だった。そのまんま帰って来た。というようにですねえ生きた神様の働きというものはもうどうにも出来ない。そういう働きがです目には見えないけれどもお蔭の方にはもっともつとそうした生きた働きが、お互いの上にそういう祈りが掛けられて居るのであり、そういう御守護の中にお互いがおかげを受けておると言うこと。
 信心をすれば目に見えるお蔭より目に見えないお蔭の方が多いとおっしゃる。そういうおかげの中に私共があるんだ。それが有っても私どもの心の中に、生き生きとした喜びがないならばそれをキャッチする事が出来ない。そうでしょう。さっきの私のお夢ではないですけれども、老いも良い、若きも良い、子供も良い。高い声の人もよかれば低い声の人も良いから、先程申しました様な団結のね、焦点を一つにおいて団体の助かりを願わせて頂くという信心を練らせて頂いてです。
 このステージに立たせて頂いて、拍手万雷という様なお蔭を頂かしてもらわなければならない。そういうお年柄に当たって居るんだ。ばらばらでは持ち上がらない石でも大勢の者が声を合わせて、揃えて持ち上げれば持ち上がる道理である。そこでそういう様なものを一つにするものはお互いが実意丁寧な信心なのだと。私は今朝の御理解を頂いて思うた。はあ、椛目でもこれだけのひとつの御比礼頂いておるけれども、いつも思う事なんだけれども、やっぱり私の信心でこうしてお蔭頂いて来たんだ。
 椛目で道が開けて来たのだという様なものがこれにある。これではおかげは受けられない。いうなれば椛目の御比礼は、いうなら狂い咲きであるということ。信心もできんのに、たまたまお蔭を頂いてから、いわば見事に咲いておる様ないわば狂い咲きの花にも似た様な御比礼であるお蔭であるということ。この信心がなかったらそうでしょう。一生懸命の努力をされる。アイデアがうまい。よいよいで店が繁昌する。
 財産が出来る。一生懸命働くというその事によってです、いわば儲けられないところに儲ける。咲かない所に花が咲く様なおかげを受けられるのですよ。これではしかし花に終わってしまい実りは有りません。どんなに億万のです、金を積み上げましたところで、その億万の金の為に子孫の者が苦しまなければなりません。それはいわば、天地が異変の為に、一生懸命に神様が、じだんだ踏む様にしてお蔭を願うから。
 修行さして貰うから、只おかげが受けられて居るお蔭ではです、それはあだ花の様なお蔭であると悟らせて頂いて、このあだ花がです、花だけではなく実りになり徳になるという様なお蔭を頂いて行く為にはです、お互いが銘々、自分という者をぎりぎり分からせて頂いてです、私の様な者が、ね、ずの子の自覚に立たせて頂くということなのだ。生神金光大神様とまで、天地金乃親神様からも、一般からも、大谷の生神様と言われた教祖の神様でも、自分にかえられた時には。
 百姓の無学の百姓の、百姓文治として自分という者を見て居られた様にです、私共でもそうなんです。紋付き袴を付さして頂いておるなら、「親先生、親先生」と例えば、生神様のようにそれこそ手を取り足を取る様にして皆さんが大事にして下さる。それは紋付き袴に対してからなのです。大坪総一郎にじゃないです。そこを思い上がりが出き慢心が出き、そして大おかげといったのは、いわばあだ花であった証拠にあだ花が散ってしもうたら何にも無かったという様な事に成ってはならんから、ね、
 本気で自分の信心と言うものを見極めさしてもろうて、ぎりぎりのです、信心も出来んのに、この様なお蔭を頂いてという信心。今日は今朝からそういう様な気持ちでおらせて頂きましたら、もう誰に合うてもこの人に合うてもです、みんなその人の以下に以下に自分が見えて来るから不思議です。そこにひざまづかなければおられんのです。辞を低うしなければおられんのです。ね。
 お恵みの水は、それは高い所にはなかなか流れては参りません。ね。低い所へ低い所へと水は流れて行くお恵みは溜まつて行く様にです、私どもがいよいよそういう所の場に立たせて頂いて、そういう自分である事を見極めさせて頂いて、この様な私にかくまでのお蔭を頂いて、有り難い勿体ないという心をいよいよ頂いて行かなければならんのだということ。その心でです、私はね、家族のお父さんだけお蔭を頂いたら良いと言うこっちゃない。ねえ。家族中の者がお蔭を頂かなければです。
 お蔭を頂いてもです、他の例えば、家族のものがお蔭ではないと思うたらもう不浄が付く。また齧られなければならんという事を一つ思うてね、家族中の者が勢を揃えて、お広前中の者が勢を揃えておかげを頂いて、しかも生き生きとした心で、しかもへりくだった心で神様の御用さして頂く事が有り難いのである楽しいのである。そこには期せずして私の健康の上にもお蔭が頂けて行くであろうと、古賀先生を以て話しました様にです、ねえ、そういう助かり方に成って参ります時に、いよいよお道の信心が光って来るのじゃなかろうかとこう思うのでございます。
 信心は何処までも有り難う成っていき、どんなに立派な事が言われたり、されて居ってもです、自分の心の中に有り難いと言うものがない。歩調が合ってない。ならば如何に檜舞台に立って歌うて居ってもおりらんかと。どうした馬鹿じゃろうかというような声が向こうから掛かって来る様なことでは出来ん。私の持つところの一つのタクトを私が振らして頂くなら、皆さんが様々な部門に別れて居られて、一糸乱れず。
 しかもこの楽団と言うのは、その私のお夢の中の感じがです。とてもとても今まで見たことも聞いたこともないがっちりした、その合唱団の為に、いわば伴奏をして下さろうとして居る、それが天地乃親神様のお姿であると私は拝察さして頂いた。必ず合唱団と言う事ではないでしょう。例えば御用で久保山先生が東京に行っておりますが、これなんかがいわば東京が檜舞台です。
 いわば一人で独唱しておる様なものではないだろうか。必ず神様が伴奏しておって下さる事を信じます。「先生、椛目で独唱が出来るとは誰じゃろうか」「そうなあ、いくら出来とるごとあったっちゃ、やっぱ椛目の先生ち言われる人達じゃなかっちゃろか」と私は申しました。いわゆる一騎当千という、そういう信心に成らせて頂くこともさることながら、その人達の信心にです。
 沢山の人達が歩調を合わせて付いて来てくれる様なお蔭を土台に頂かしてもらわなければいけないということなんです。どうぞこの前のお月次祭の御理解、もう一遍ひとつ思い直してみて下さい。なるほど一遍にすらすらすらっとおかげに成る事だけがお蔭ではない。そこに引っ掛かり此処に引っ掛かりする事がお蔭なのだ。それが神愛なのだ。だから神愛を神愛と悟らせてもろうて、そこを変わらせて頂く。
 私だけではない先生方が、先生方だけではない家族の者も変わらせて頂いて、いわば神饌室が清められ、信心が誰に、何者にも侵されることのない様なおかげを頂いて行く為にです、お広前全体がお蔭を受けなければならない。家族全体の者がお蔭を受けなければならないと言う事が分かるでしょう。おかげを頂かなければなりません。